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能登に移住した木地師夫婦 田中俊也さん、千恵美さん

 Uploaded by 朝日新聞社

能登に移住した木地師夫婦 田中俊也さん、千恵美さん
2020/01/10公開
木地師になった若夫婦が、能登半島の過疎の集落に移り住んで5年。人と自然の恵みに助けられ、「生きる力」を着々と蓄えている。ろくろを回し、刃先を当ててひたすら木を削る。武骨な木の塊が、みるみる美しいお椀に姿を変えていく。大阪出身の田中俊也さんと、青森出身の千恵美さんは漆器づくりの初期工程を担う木地師の夫婦だ。
 10年前、技を学ぶ県挽物轆轤技術研修所(加賀市)で出会った。人が生きるための道具を木から削りだす。その奥深さに魅入られ、ともに職人となって、ふと気づいた。「この仕事、どこでもできるな」
 それなら好きなところで生きていこう。探すこと3年。出会ったのが、志賀町の笹波地区だ。ネットで見た空き家を探し、2人で迷っていたら大勢が助けてくれた。田植えの途中だった役場職員も、手を止めて動いてくれた。
 その縁で見つけた海辺の一軒家に2015年に移住。納屋と小屋、離れもついて家賃2万円。納屋を工房に改築した。かつて外国航路の大型船に乗り、世界を見てきた船員が多い地区。「よそ者を受け入れる度量の広さを感じる。いいところを見つけました」
 ただ、地区が直面する現実は厳しい。65歳以上の高齢化率は66%。毎月のように近所で葬式がある。住民は218人(昨年11月現在)。30年で6割も減った。
 「みんなが元気になることをしたい」。新住民となった翌秋、まだ済ませていなかった結婚式を地元の藤懸神社で挙げた。地区で33年ぶりとなる慶事を祝おうと、駆けつけた住民は100人。花嫁道中を縄で通せんぼする伝統の「縄張り」も復活し、30本もの縄に行く手を阻まれた。
 3年前に娘が生まれ、環(たまき)と名付けた。「世代を超えて人とのつながりを大事にしてほしい」との願いからだ。





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