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外国人が浴衣で日本舞踊を体験

 Uploaded by 時事通信社/JIJIPRESS 外国人が浴衣で日本舞踊を体験 (2018/08/12)

外国人が浴衣で日本舞踊を体験

外国人観光客でにぎわう浅草で12日、「外国人向け伝統文化体験プログラム」が行われ、イタリアやドイツなどから訪れている外国人が足袋に浴衣姿で、日本舞踊を体験した。毎週日曜日(除外日あり)に開催され、参加無料、足袋はプレゼントされる。アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)が主催。【時事通信映像センター】




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黄色一面!ひまわり60万本が見ごろ 山梨・北杜市

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山梨県北杜市ではヒマワリが満開です。観光客がヒマワリ畑を散策したり、写真を撮ったりして楽しんでいます。 このヒマワリ畑は、山梨県旧明野村の日照時間日本一をアピールするために地元住民が植え始めたもので、今年で27年目になります。



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岐阜で記録的短時間大雨 各務原市付近で約110ミリ

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気象庁は岐阜県に記録的短時間大雨情報を出しました。岐阜県各務原市付近で12日午後3時50分までの1時間に約110ミリの大雨が降っているとみられます。災害の発生につながるような猛烈な雨です。



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1万2000発が東京の夜空を彩る

 Uploaded by 時事通信社/JIJIPRESS 1万2000発が東京の夜空を彩る (2018/08/12)

1万2000発が東京の夜空を彩る

「東京花火大祭~EDOMODE~」が11日、お台場海浜公園(東京都港区)で行われ、日本のトップクラスの花火師たちが手掛けた花火約1万2000発が東京湾の夜空を彩った。【時事通信映像センター】




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語り継ぐ戦争 沖縄戦で被弾、傷抱え逃げた 浜本俊則さん

 Uploaded by 朝日新聞社 語り継ぐ戦争 沖縄戦で被弾、傷抱え逃げた 浜本俊則さん (2018/08/11)

語り継ぐ戦争
沖縄戦で被弾、傷抱え逃げた 浜本俊則さん

照明弾で、沖縄の夜は明るかった。1945年4月29日の深夜、浜本俊則さんは7人の分隊で沖縄本島南部の山中を歩いていた。
 「やられた」。仲間の声が聞こえた瞬間、右足をガーンと棒で殴られた感覚がした。飛び散った土を慌てて払うと、迫撃砲弾の破片が貫通し、血があふれ出ていた。声を出した仲間ともう1人が死んだ。
 山形歩兵第32連隊に合流していた浜本さんは44年8月、門司港(現・北九州市)で「南方に向かう」と言われた。1週間後に着いたのは那覇港。「何だ国内じゃないか」と安心した。     *
 しかし10月から沖縄にも米軍の大規模な空襲が始まった。45年3月23日、本島南西部の陣地から海を見渡すと、300隻近い米軍の艦船で海が真っ黒に覆われていた。4月1日には米軍が本島西岸に上陸。海からの艦砲射撃と戦闘機による空爆、戦車に率いられた地上部隊の3方向から攻撃を受けた。「こちらは応援の戦闘機も来ない。ネズミ1匹も逃がさないように、ゆっくりと追い込まれていった」
 4月29日の迫撃砲弾で右足に重傷を負った浜本さんは、本島東岸の中城村の野戦病院に運ばれた。水がくるぶしほどの高さにたまった壕に寝台が並び、負傷兵が寝かされていた。「苦しい。殺してくれ」「お母さん」。暗闇の中からうめき声ばかりが聞こえた。
 5月下旬、米軍が迫った。「動けない者はここに残していく。浜本はどうする」。見回りに来た衛生兵が動けない負傷兵に注射をすると、しばらくして声が聞こえなくなった。「どうせ死ぬのなら最後まで逃げよう」。壕を出た。
 松葉杖を頼りに山中を歩いた。本島南部の東風平村(現・八重瀬町)に、爆撃による多くの死体が残された「魔の三差路」と呼ばれた場所があった。人が通れるように、死体は道の両脇に寄せられ、幾重にも積み重なっていた。赤子をおぶった母親の上半身が道の右側に、下半身が左側にあった。赤子に傷はなく、飢えで死んだと思った。「兵隊は死ぬのが当たり前だから気にならないが、母子はかわいそうだった」
 昼は自分たちが掘った壕に隠れ、米軍に見つかりにくい夜に動いた。米軍が食べ残したビスケット、空爆で飛び散ったサツマイモを食べた。松葉杖がなくても歩けるようになると、拳銃を持って深夜、仲間と米軍の宿舎に侵入し、ガソリンや食料を盗んだ。
 「寝ている相手は気づいても、我々が銃を持っていると思うから動かない。怖いのは逃げる時。後ろからバンバン撃ってくるのを右足を引きずって逃げた」     *
 戦死や集団自決で約19万人の日本人が亡くなった沖縄戦は6月23日、軍司令官の自決で組織的戦闘が終わった。旭川市にあった歩兵第89連隊が沖縄戦に投入されたこともあり、道のまとめでは道民の死者は1万85人。都道府県別の戦没者数では沖縄に次いで多い。糸満市の壕にいた浜本さんが終戦を知ったのは8月26日。投降して沖縄本島の収容所で1年3カ月を過ごし、46年秋に故郷に戻った。狭心症や胃潰瘍、十二指腸潰瘍など体調不良が続いた。「捕虜の時はいつ殺されるかわからなかった」。ストレスが心身をむしばんでいた。




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むろと廃校水族館が早くも入館者4万人突破 高知・室戸市

 Uploaded by 朝日新聞社 むろと廃校水族館が早くも入館者4万人突破 高知・室戸市 (2018/08/11)

むろと廃校水族館が早くも入館者4万人突破
高知・室戸市

12年前に廃校になった旧椎名小学校を改装して4月26日に開館したばかりの「むろと廃校水族館」(室戸市室戸岬町)が8月11日、目標の年間入館者4万人を突破した。オープンからわずか3カ月で目標をスピード達成した。




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遺骨まく無人の島 重松清さん「墓の問題、死生観問う」

 Uploaded by 朝日新聞社 遺骨まく無人の島 重松清さん「墓の問題、死生観問う」 (2018/08/11)

遺骨まく無人の島
重松清さん「墓の問題、死生観問う」

団塊の世代が高齢化し、「多死社会」が到来する。過疎化や未婚化といった社会の急激な変容は、墓を荒廃させ、弔いのあり方にも影響を及ぼしている。作家、重松清さんが自然葬の島を歩いた。
 隠岐諸島に位置する人口2300人弱の海士町、菱浦港が集合場所だ。船で10分ほど渡った先にカズラ島がある。千平方メートルほどの無人島。




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アニメ「銀魂」が佐賀のご当地キャラに

 Uploaded by 朝日新聞社 アニメ「銀魂」が佐賀のご当地キャラに (2018/08/10)

アニメ「銀魂」が佐賀のご当地キャラに

人気アニメ「銀魂(ぎんたま)」と佐賀県のコラボで、犬のような見た目のキャラクター「定春」がご当地キャラに変身した「佐賀春」の等身大像が8月10日、佐賀市のJR佐賀駅前にお目見えした。コラボした県産品や食事の販売も始まった。
 午前10時ごろ、除幕式で台座を含めて高さ2.5メートルの「佐賀春」像が現れると、集まったファンからどよめきが起こった。頭にはムツゴロウ、ほかにもイチゴ、ノリ、お米など佐賀らしいものを身に着け、有田焼の上に乗っている。
 コラボでは、市内のあちこちに設置された「ミニ佐賀春」を捜し、三つ以上見つけたら佐賀春のサンバイザーがもらえる企画がある。ほかに、マヨネーズ好きのキャラにちなんだオリジナルシシリアンライスなどの販売も始まった。
 「銀魂」は幕末の江戸が宇宙人の襲撃を受けたという設定。今回のコラボは、明治維新150年にちなんだイベント「肥前さが幕末維新博覧会」を開催中の県が、主人公・坂田銀時が営業する便利屋「万事屋(よろずや)銀ちゃん」にPRなどを依頼して実現――というストーリーになっている。




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語り継ぐ戦争 兄の足跡、掘り続けて730柱 井上徳男さんと妻の富美子さん

 Uploaded by 朝日新聞社 語り継ぐ戦争 兄の足跡、掘り続けて730柱 井上徳男さんと妻の富美子さん (2018/08/10)

語り継ぐ戦争 兄の足跡、掘り続けて730柱
井上徳男さんと妻の富美子さん

ろうそくの火が点々と続くガマ(洞窟)の奥。ツルハシや小型の熊手で地面を掘り続けると、やがて人骨が次々と見つかった。
 北海道斜里町の井上徳男さんと妻の富美子さんは、そんな光景を片時も忘れたことがない。
 太平洋戦争末期の1945年3月から約3カ月間、日米両軍が住民を巻き込んで激しい地上戦を繰り広げた沖縄。約20万人が亡くなり、今なお約3千柱の遺骨が地中に眠るとされる。井上さん夫妻は2005年までの15年間、自宅から約2500キロ離れたこの地に冬の間滞在し、遺骨収集に取り組んできた。きっかけは沖縄戦で死亡した徳男さんの兄、清隆さんへの思いだった。     *
 清隆さんは1942年12月に徴兵された。このとき栗沢村(現・岩見沢市)の万字炭鉱に徴用されていたため、実家に帰ることなくそのまま出征。満州(現在の中国東北部)に渡った後、44年に沖縄に転戦、終戦まであと2カ月弱に迫った45年6月に亡くなった。22歳だった。
 「おそらく二度と生きて皆様にお逢い出来るとは思ひません」「清隆はにこにこ笑ってお国の為に死んで行きます」
 清隆さんが沖縄に向かう前、家族に宛てた最後の手紙にはこう書かれていた。手紙には「手形」も記されていた。手のひらを手紙の上に置き、ペンで輪郭をなぞったようだ。
 終戦の翌年、清隆さんの死亡通知書が届き、その翌年には木の箱に入った位牌を受け取った。遺骨も遺品もなかった。沖縄戦で戦友を失った道内の男性たちから沖縄での遺骨収集に誘われたが、農業や子育てに追われ、行けずじまいだった。だが遠く沖縄の地で眠る兄のことが、井上さん夫妻はずっと気になっていた。
 約30年前、農業をやめて夫婦で建設会社に勤めるようになり、時間にゆとりが生まれた。1990年、大阪で開かれた「国際花と緑の博覧会」を見に行こうかと話し合った。だが、富美子さんは清隆さんの最後の手紙を思い出した。亡くなる直前の義母から託されていたからだ。「同じお金かけて行くんなら、最後に兄さんがいたところを見に行かないかい?」。富美子さんが言うと、徳男さんも「兄貴の骨捜し、やっぱりやらなきゃならんよな」。翌年、2人の遺骨収集の旅が始まった。
 それから毎冬、正月が明けると沖縄に出かけた。アパートの一室を50日ほど借り、レンタカーで移動しながら各地で収集を続けた。
 最初は兄が亡くなったとされる沖縄本島南部の旧具志頭村(現・八重瀬町)で遺骨を捜したが、沖縄戦の実態を知るにつれ、混乱した戦いの中で兄がどう移動し、どこで亡くなったのかは定かではないと確信。次第に範囲を広げ、糸満市や約15キロ離れた浦添市にも向かった。
 兄の骨や遺品とみられるものは見つからなかった。それでも多くの遺骨を見つけ、その数は730柱にのぼる。兵士の個人識別に使われる認識票や軍刀、鉄かぶとなどの遺品も多数見つけた。持ち主がわかって遺族に届けることができた万年筆もあった。
 戦後60年の2005年が、最後の収集の年となった。翌年、富美子さんが難病のメニエール病を患い、沖縄行きを断念。以来、2人の遺骨収集は止まったままだ。




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水中ドローンの映像をスマホで視聴可 大分の水族館「うみたまご」

 Uploaded by 朝日新聞社 水中ドローンの映像をスマホで視聴可 大分の水族館「うみたまご」 (2018/08/10)

水中ドローンの映像をスマホで視聴可
大分の水族館「うみたまご」

大分市の水族館「うみたまご」が、無人の小型潜水艇(水中ドローン)で撮るライブ映像を来場者がスマートフォンなどで見られるサービスを、大回遊水槽の解説ショーに採り入れた。8月31日までの企画。ダイバーが近づくよりも自然なかたちで魚たちの様子を観察できる。




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渓谷に差し込む復興の光・菊池渓谷

 Uploaded by SankeiNews 渓谷に差し込む復興の光・菊池渓谷 (2018/08/11)

渓谷に差し込む復興の光・菊池渓谷

「渓谷に差し込む復興の光」  熊本県 菊池渓谷
月明かりを頼りに川沿いの遊歩道を歩くこと20分あまり。河原に降り、上流の見通しの良いポイントにたどり着いた。夜明けまで1時間以上あるが、既に5人ほどの〝先客〟が三脚を広げ、その時を待っていた。
せみ時雨が少しずつ大きくなってきた。夜明けが近い。いつの間にか、カメラの放列は20人ほどになっていた。朝日が木立の合間から顔を出した。「来たぞ」。居並ぶカメラマンから声が上がった。薄くオレンジ色に染まった無数の光の束が、川面に伸びた。
7月から8月、木々からの蒸気や川霧に朝日が差し込み「光芒」が見られることで有名な菊池渓谷(熊本県菊池市)。平成28年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受け、立ち入りが禁止されていた。再開したのは約2年経った今年3月?日。復興を成し遂げた渓谷は今、3年ぶりの光芒シーズンを迎えている。
「もう、渓谷は終わった、と思った」。地震から1月後、渓谷内を見回った「菊池渓谷を美しくする保護管理協議会」の小川博哉さん(68)は述懐する。土砂崩れが至る場所で起き、川や遊歩道に大きな岩や木々が横たわっていた。湧水が水源の菊池川は、通常、雨が降っても2日ほどで清流の姿を取り戻す。だが、1月経っても、水は茶色く濁ったままだった。
遊歩道に重機を入れ、岩を砕いて運び出し、新たに手すりを設置するなどして再整備を行った。水は少しずつ透明度を取り戻した。
地震で川に落ちた巨大な岩は現在も、そのまま残されている。「取り除くことは困難。そこにコケが生え、草木が芽吹き、また自然の一部になっていく」。小川さんは、そう考えている。
(写真報道局 古厩正樹)




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日本高校ダンス部選手権 関東甲信越Bブロック ビッグクラス 全国大会出場校

 Uploaded by SankeiNews 日本高校ダンス部選手権 関東甲信越Bブロック ビッグクラス 全国大会出場校 (2018/08/10)

日本高校ダンス部選手権
関東甲信越Bブロック ビッグクラス 全国大会出場校

高校ダンス部の日本一を決める第11回日本高校ダンス部選手権(スーパーカップダンススタジアム)関東・甲信越地区大会(産経新聞社、ストリートダンス協会主催、エースコック特別協賛、大塚ホールディングス、ジョンソン・エンド・ジョンソンほか協賛)のBブロックが8日、東京・蒲田の片柳アリーナで行われ、計14チームが全国大会出場を決めた。地区大会は9日まで開催される。全国大会は8月16、17の両日、横浜市西区の「パシフィコ横浜」で開催予定。

 全国大会に出場を決めたBブロックのチームは次の通り。

 【高校・ビッグクラス】山村国際高校(埼玉)、神奈川県立横浜平沼高校、東京都立竹早高校、神奈川県立川和高校、明治学院東村山高校(東京)、東京都立大森高校、立川女子高校(東京)、千葉県立四街道高校

 【高校・スモールクラス】日出高校(東京)、群馬県立安中総合学園高校、東京都立富士森高校、神奈川県立上鶴間高校、千葉市立千葉高校、武南高校(埼玉)




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日本高校ダンス部選手権 関東甲信越Bブロック スモールクラス 全国大会出場校

 Uploaded by SankeiNews 日本高校ダンス部選手権 関東甲信越Bブロック スモールクラス 全国大会出場校 (2018/08/11)

日本高校ダンス部選手権
関東甲信越Bブロック スモールクラス 全国大会出場校

高校ダンス部の日本一を決める第11回日本高校ダンス部選手権(スーパーカップダンススタジアム)関東・甲信越地区大会(産経新聞社、ストリートダンス協会主催、エースコック特別協賛、大塚ホールディングス、ジョンソン・エンド・ジョンソンほか協賛)のBブロックが8日、東京・蒲田の片柳アリーナで行われ、計14チームが全国大会出場を決めた。地区大会は9日まで開催される。
 全国大会は8月16、17の両日、横浜市西区の「パシフィコ横浜」で開催予定。

 全国大会に出場を決めたBブロックのチームは次の通り。

 【高校・ビッグクラス】山村国際高校(埼玉)、神奈川県立横浜平沼高校、東京都立竹早高校、神奈川県立川和高校、明治学院東村山高校(東京)、東京都立大森高校、立川女子高校(東京)、千葉県立四街道高校

 【高校・スモールクラス】日出高校(東京)、群馬県立安中総合学園高校、東京都立富士森高校、神奈川県立上鶴間高校、千葉市立千葉高校、武南高校(埼玉)




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