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語り継ぐ戦争 震洋特別攻撃隊の一員だった当山勝彦さん

 Uploaded by 朝日新聞社 語り継ぐ戦争 震洋特別攻撃隊の一員だった当山勝彦さん (2018/08/02)

語り継ぐ戦争
震洋特別攻撃隊の一員だった当山勝彦さん

太平洋戦争末期、旧日本海軍は水上特攻兵器「震洋」を開発した。全長約5メートルのベニヤ板製のボートに250キロの爆薬を積み、敵艦に突っ込む。出撃などで約2500人が犠牲になったとされる。当山勝彦さん=函館市=は14歳のころ、「震洋特別攻撃隊」の一員だった。
 当山さんは1944年3月、的場国民学校高等科を修了後、海軍を志願した。走り込みやボート訓練の毎日。少しでもミスがあれば、「精神注入棒」と呼ばれた木のバットで上官に尻を何度もたたかれた。
 横須賀海軍通信隊に配属され、すぐに震洋特別攻撃隊の電信兵となった。「トン・ツー」の組み合わせで示すモールス信号で、沖縄から長崎県の基地に戦況を伝える役割だった。「死ぬことが怖い」という思いは無かった。45年2月、長崎から沖縄に向かうよう命じられ、「震洋」26隻や物資を積んだ輸送船に乗った。     *
 船団を編成するため、鹿児島湾に待機しているときのことだった。昼時に船底の居住区からデッキに上がると、上空に米軍の戦闘機が見えた。数十機はいるだろうか。頭をよぎったのは、大量の爆薬を積んだ「震洋」だ。このまま攻撃を受ければ、輸送船は爆発する。
 「総員退避!」。上官から号令がかかり、救助用ボートに乗り移った。米軍機からも、「震洋」を乗せた輸送船からも離れなければ。桜島を目指し、懸命にボートをこいだ。ボートに乗れず、泳いで逃げる仲間もすぐそばにいた。
 米軍機は水面近くまで降下し、後方から迫ってきた。「ボートを狙ってくるはず。ここまでか」と思ったが、なぜか泳いでいる仲間が狙われた。「ド、ド、ド」と銃弾が撃ち込まれ、懸命に泳いでいた仲間たちはだんだん動かなくなり、やがて海上に浮いた。米軍機のパイロットの顔も見えた。笑っているようだった。
 桜島にたどり着き、負傷した仲間をボートに引き上げて救助したが、それでも約60人が犠牲になった。振り向くと、輸送船は沈没していた。
 その後、沖縄に移動することはなく、長崎県に戻って終戦を迎えた。「何もできなかった」と、戦果を上げられなかったふがいなさが残った。
 だが、地上戦で20万人が死亡した沖縄に予定通り到着していたら、自分も命を落としていたかもしれない。鹿児島湾での攻撃でも助かった。「桜島に生きて着いたとき、二重の意味で命拾いしたことになった」と当山さんは振り返る




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西川和尚のらくらく精進料理 ナスとキュウリのみそ炒め 蒸し暑い季節 簡単に

 Uploaded by 朝日新聞社 西川和尚のらくらく精進料理 ナスとキュウリのみそ炒め 蒸し暑い季節 簡単に (2018/08/02)

西川和尚のらくらく精進料理
ナスとキュウリのみそ炒め 蒸し暑い季節 簡単に

ナスの皮には「ナスニン」というポリフェノールの一種が含まれていて、眼精疲労にも効果があるといわれる。カリウムも多く、血圧の上昇を抑えてくれる。
 キュウリもカリウムを多く含んでいる。ナスもキュウリも体を冷やす効果があるとされ、夏バテ防止にも良さそうだ。
 作り方は簡単。ナスとキュウリをそれぞれ薄切りにして、炒めて調味料をからめるだけ。タカノツメの量はお好みで。ポイントは水っぽくならないよう、炒める前にしっかり水気を絞ること。器に盛って、ゴマを指先でひねって散らすと香りが立つ。
 ぴりりと辛く、ご飯がすすむ。もう一品欲しい時にうれしいおかずだ。




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青森ねぶた祭が開幕

 Uploaded by 朝日新聞社 青森ねぶた祭が開幕 (2018/08/02)

青森ねぶた祭が開幕

北国の夏をまばゆく染める青森ねぶた祭が8月2日夜、青森市で始まった。初日は大型ねぶた、子どもねぶたなど25台が出陣。笛や太鼓、鈴の音が街中に響き、祭りの季節の到来にハネトたちが「ラッセラー、ラッセラー」のかけ声とともに威勢よく跳ねた。




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定時制で軟式野球、全国大会の打席は緊張 草刈正雄さん

 Uploaded by 朝日新聞社 定時制で軟式野球、全国大会の打席は緊張 草刈正雄さん (2018/08/02)

定時制で軟式野球、全国大会の打席は緊張
草刈正雄さん

俳優の草刈正雄さんはデビュー前、働きながら高校の定時制に通い、軟式野球部でプレーしていた。野球を通して大勢の人と出会い、学べた楽しさを、思い出とともに語ってもらった。




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初乗り運賃高いけど…京の地下鉄、高2の萌ちゃん活躍中

 Uploaded by 朝日新聞社 初乗り運賃高いけど…京の地下鉄、高2の萌ちゃん活躍中 (2018/08/02)

初乗り運賃高いけど…京の地下鉄、
高2の萌ちゃん活躍中

京都市営地下鉄は初乗り運賃が210円。横浜市、神戸市と並んで全国一高い。直面している経営難の切り札の一つが「萌えキャラ」によるPR作戦だ。
「太秦萌ちゃんですよ」。京都市交通局高速鉄道部営業課の三原康弘さんが説明してくれた。萌ちゃんが生まれたのは今から7年前。地下鉄の増客のために組織された「若手職員増客チーム」の発案だった。メンバーの家族が手弁当で初代のイラストを描いたそうだ。
 実は、市営地下鉄は「全国一厳しい経営難」(市交通局)が続く。萌えキャラは、経営改革案の一策なのだ。苦しい経営の最大の要因は、烏丸線(13・7キロ)と烏丸御池駅で接続する東西線(17・5キロ)の建設が、バブル期と重なったことだという。当初3900億円と見積もっていた事業費は5500億円にふくれあがった。2009年度には自治体財政健全化法に基づき、全国の公営地下鉄で唯一「経営健全化団体」になり、国から経営改善が義務づけられた。
 今は、幸い、キャラも手伝って? 経営健全化団体からは脱却する見通しという。三原さんによると、キャラにはコアなファンが市内外にいる。市交通局が定めた「地下鉄の日」(5月29日)のグッズ販売にはファンが列をつくる。大手フィギュアメーカー「海洋堂」が作った萌ちゃんのフィギュアは1体80万円もするが、何体か売れた。
 登場人物のキャラ設定がしっかりしているのが魅力だそう。萌ちゃんは京都市内の高校に地下鉄を使って通う17歳の高校2年生。カメラが趣味で市内あちこちで写真を撮る。幼なじみは松賀咲と小野ミサ。家族や友達との物語を繰り広げている。
 京都学園大学やJR京都伊勢丹、京都国際マンガミュージアムとコラボしたキャラも誕生。さまざまな施設と連携したイベントを開き、地下鉄の利用促進をささやかに促す。




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アシカが竿燈を持ちあげる妙技披露 秋田・大森山動物園

 Uploaded by 朝日新聞社 アシカが竿燈を持ちあげる妙技披露 秋田・大森山動物園 (2018/08/02)

アシカが竿燈を持ちあげる妙技披露
秋田・大森山動物園

秋田竿燈まつり(8月3~6日)を前に、秋田市大森山動物園のカリフォルニアアシカのマヤ(雄、20歳)が7月14日、鼻で竿燈を持ちあげる妙技をお披露目する。技の披露は、同日以降の土曜、日曜、祝日の午後3時40分から約10~20分。
 飼育員の千葉可奈子さんが、棒の先にボールを乗せる他の動物園のアシカを見て思いついた。3月下旬から1日2回、5~10分練習し、習得した。竿燈は手作りで、高さ165センチ、幅98センチある。マヤは今年、47頭がエントリーした「第1回ヒレアシ甲子園」で全国6位(東北1位)に輝いた。




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ディスカウントストアにイグアナ出没 2人がかりで捕獲 福岡・糸島

 Uploaded by 朝日新聞社 ディスカウントストアにイグアナ出没 2人がかりで捕獲 福岡・糸島 (2018/08/02)

ディスカウントストアにイグアナ出没
2人がかりで捕獲 福岡・糸島

8月2日午前、福岡県糸島市篠原東3丁目のディスカウントストア店長から「イグアナが駐車場を徘徊している」と110番通報があった。イグアナは全長110センチ、重さ1・8キロ。糸島署員が駆けつけた時には、店の資材置き場に逃げ込んでおり、2人がかりで素手でつかまえた。
 同市のペットショップによると、2歳以上のグリーンイグアナとみられる。持ち主と見られる人から署に連絡があり、確認を急いでいる。




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「聖地」甲子園を空から見たら 昔は田園、いまオアシス

 Uploaded by 朝日新聞社 「聖地」甲子園を空から見たら 昔は田園、いまオアシス (2018/08/01)

「聖地」甲子園を空から見たら 昔は田園、いまオアシス

兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場は完成当初から毎夏、朝日新聞の航空機による撮影が行われてきた。これらの写真には周辺の街並みの変わりようも記録されている。第100回全国高校野球選手権記念大会の開幕を前に「聖地のいま」をとらえた。
東に武庫川が流れ、北には六甲山地。上空から眺めた甲子園は都会のオアシスのようだった。ビルと住宅がぎっしり詰まった市街地が白っぽく見え、都市をつらぬく大動脈の阪神高速道路は灰色だった。その中で、芝の緑と土の色がひときわ目を引いた。
 甲子園球場が完成したのは大正デモクラシー期の1924年。ここは以前、枝川という武庫川の支流が流れていた。武庫川で水害が続いたため、兵庫県は枝川を閉め切ってできた約70万平方メートルの河川跡地を阪神電鉄に売却。堤防の補強工事の費用を捻出した。
 阪神電鉄は、スポーツ施設を核にした新興住宅地の開発を進めた。米国でニューヨーク・ジャイアンツの本拠地だったポログラウンドや、23年4月に完成して「世界一」と称されたヤンキースタジアムを参考に、当時、東洋最大の球場「甲子園」が建設された。完成直後の24年8月に開かれた第10回大会から満員が記録されたが、当時の空撮写真を見ると、周辺には広い田畑が残っていたことが分かる。




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語り継ぐ戦争 衰弱、意識薄れ 餓死の島から生き残った大久保幸一さん

 Uploaded by 朝日新聞社 語り継ぐ戦争 衰弱、意識薄れ 餓死の島から生き残った大久保幸一さん (2018/08/01)

語り継ぐ戦争
衰弱、意識薄れ 餓死の島から生き残った大久保幸一さん

地面に穴を掘って周りを板で囲んだだけの「野戦便所」から、蚊をたたく音が消えた。「ああ、いよいよまずい」。大久保幸一さん=札幌市東区=は、中でぐったりとしていた戦友を担ぎ出し、幕舎に寝かせた。大久保さんより2~3歳年上の補充兵で、出征前は小樽市の菓子店で働いていたという。
 「おい、一緒に生きて帰るぞ」。大久保さんは呼び掛けたが、彼は衰弱しきってほとんど意識がなかった。死が近いことを悟った大久保さんが「何か言い残すことはないか」と問うと、彼は「白いご飯とみそ汁を腹いっぱい食べたい」と消え入りそうな声で答えた。せめてもと思い、水で薄めた甘味料のサッカリンをガーゼで口に含ませると、やがて彼は亡くなった。体は枯れ木のようにやせ細っていた。     *
 太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のウォレアイ環礁。かつて「メレヨン島」と呼ばれた島での過酷な体験を、大久保さんは今も鮮明に覚えている。日本軍は1944年2月、米軍との戦いに備えて島に飛行場を建設。陸海軍の部隊計約6500人が防衛任務などにあたり、大久保さんもその一人だった。だが米軍の空襲で飛行場は破壊され、食料や物資も焼失した。戦線が移ったことで米軍にとって攻略する必要がなくなり、地上戦にはならなかった。しかし残された部隊には飢餓との戦いが待っていた。
 大久保さんが満州(中国東北部)からこの島に転戦したのは44年4月。制海権と制空権は米国に奪われ、補給路は断たれていた。当初は、部隊の演芸会で得意の歌を披露する元気があった。だが、飢えによって次第に気力はなくなった。半年後に食料不足がさらに深刻になり、1日720グラムあった米の配給量が100グラムに減った。急ごしらえでカボチャ畑を作ったり、火薬を使って漁をしたりしたが空腹は満たせない。野ネズミをワナで捕って海水で味付けをして焼き、「無心」で骨ごと食べた。62キロあった体重が37キロにまで減った。大久保さんらに比べ、将校らの配給量は多かった。
 飢えに加えてアメーバ赤痢やデング熱にも襲われ、戦友が1人、また1人と息を引き取った。全体の7割にあたる約5千人が死亡し、その9割が餓死か病死だったという。「あと2カ月戦争が延びていたら、自分も死んでいたと思う」と大久保さんは振り返る。     *
 かろうじて生き残った大久保さんは45年10月に帰国。大分県にあった臨時の陸軍病院で療養した。体力が落ちて白米の飯を食べきれなかったが、カビが生えるまで手元に置いていた。「食べたい食べたいといって死んだ戦友のことを思うと、捨てられなかった」。歌志内町(現・歌志内市)の実家から迎えに来た父と札幌で再会した。だが父は最初、息子だとわからなかった。人相が変わるほどやつれていたからだ。
 「どうして何千人もの兵士が飢えて死ななければならなかったのか。戦友たちは自分の国の上層部に殺されたようなものだ」。大久保さんの強い思いだ。
 壮絶な体験を語れる人は年々減っている。「亡くなった戦友たちのつらさを、一人でも多くの人に伝えたい。それが彼らの供養につながると思う」と大久保さんは言う。




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ふぞろいな「王様」 宮崎市の「佐土原ナス」

 Uploaded by 朝日新聞社 ふぞろいな「王様」 宮崎市の「佐土原ナス」 (2018/08/01)

ふぞろいな「王様」 宮崎市の「佐土原ナス」

光沢を帯びた紫のボディーが、葉の隙間から存在感を放っていた。見慣れた姿より赤みがかっていて、少し大ぶり。宮崎市の田園地帯にあるハウス。佐土原ナスは6~8月が収穫のピークだ。佐土原ナスはかつて、「ふぞろい」が原因で誰もつくらなくなった過去がある。
 江戸時代、薩摩藩の支藩だった佐土原藩(現・宮崎市)で盛んに栽培され、この名前がついた。宮崎県では、戦前までナスと言えば「佐土原」で、その名は全国に知られていた。
 戦後。野菜の品種改良が進み、色形がよく収量も安定したナスが全国に普及する。佐土原ナスは次第に減り、1980年ごろには食卓から姿を消した。88年、地元の種苗業者が、商品にならなくなった種を「保存のため」と、県総合農業試験場に持ち込んだ。種は冷蔵庫に入れられ、のちに世間が「伝統野菜」に目を向けるようになるまでの12年間、眠ることになる。
 再び取り出された種から収穫したナスは、その味で人々を魅了した。「懐かしいナス本来の味」、若い世代は「とろとろして甘く、初めて食べる味」と。
 この味にほれ込んだ農家8人が05年、研究会を立ち上げた。1本の苗からの収量は一般のナスの半分ほど。ふぞろいで売り物にならないこともあるなか、採算度外視で味の追求を続けている。16年には、13人で106トンを生産する。地元のスーパーに並び、飲食店メニューの「常連」になるまで、復活を遂げた。
 そのままの味が楽しめる「焼きナス」が定番の食べ方だ。宮崎市内の居酒屋「盃二(はいじ)」で頂くと、口にいれた瞬間のとろっとした食感と、みずみずしさに驚いた。えぐみはなく、ほのかな甘さが広がった。店主の小川慎吾さんは「『焼きナスの王様』って呼ばれている。焼酎のアテに最高。これを食べると他のナスが食べられなくなるのが悩みですね」。




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西川和尚のらくらく精進料理 オクラのとろろかけ豆腐 煮汁しみてふわトロ (2018/08/01)

 Uploaded by 朝日新聞社 西川和尚のらくらく精進料理 オクラのとろろかけ豆腐 煮汁しみてふわトロ (2018/08/01)

西川和尚のらくらく精進料理
オクラのとろろかけ豆腐 煮汁しみてふわトロ

豆腐を加熱しすぎると、水分が沸騰して細かい泡ができ、表面や内部に穴があく。これを「すが立つ」「すが入る」という。わざとその状態にして、そこに煮汁をしみこませるのだという。
 オクラは種を取って細かく刻むと粘りが増し、とろろのような食感になる。オクラのぬめり成分には胃の粘膜を保護し消化を助ける働きがあり、長芋には便秘を予防したり糖質の吸収を抑えたりする作用があるといわれている。
 うっすら茶色に煮上がった豆腐はつぶれて、見た目はいま一つ。でも、オクラ入りのとろろをかけて一口食べて驚いた。ふわふわトロリ。たしかにぜいたくな豆腐料理になっていた。西川和尚は「納豆を加えると、もっとおいしくなりますよ」。




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温暖化の元凶、水素に変えろ 褐炭から新エネルギー、日豪が構想

 Uploaded by 朝日新聞社 温暖化の元凶、水素に変えろ 褐炭から新エネルギー、日豪が構想 (2018/08/01)

温暖化の元凶、水素に変えろ
褐炭から新エネルギー、日豪が構想

石炭を二酸化炭素(CO₂)を出さない水素エネルギーに変え、発電や自動車に使う。こんな日本とオーストラリアの共同プロジェクトが動き出した。温暖化対策の「お荷物」とされてきた豪州南東部の炭鉱のまちは、プロジェクトの行方を期待と不安のなか、見守る。
南東部ビクトリア州ラトロブ市で2017年3月末に閉鎖されたヘイゼルウッド火力発電所。周囲には露天掘りの土地が広がっている。発電所に燃料の石炭を供給した炭鉱の跡地だ。750人が働いていたが、開設から50年以上たって老朽化。会社が、突然閉鎖を発表した。
 一帯のラトロブバレーで産出される石炭は水分が多く、乾燥すると自然発火しやすい褐炭だ。輸送が難しく、地元で発電用に使われてきた。
 石炭火力発電は地域の基幹産業。国際環境団体「気候グループ」のまとめによると、2010年には、3カ所の発電所で国内人口の9割近くが暮らす豪東部・南部の電力の2割をつくり出していた。
 だが、褐炭を燃料とする発電所は多くの二酸化炭素が出る。この3カ所は、二酸化炭素の排出量でも東部と南部の発電所の中で上位3位を占めた。東部・南部で発電によって出る二酸化炭素の3割以上に上った。
 国内で気候変動の対策が話題になるたび、環境派から目の敵にされてきた。石炭火力発電所の新設は強い反対があり、難しい。だが、老朽化した発電所を閉鎖すれば、膨大な褐炭の使い道がなくなってしまう。
 そんな将来を一転、明るくする構想が持ち上がっている。褐炭から水素をつくり、日本へ運んで火力発電や燃料電池車の燃料として使う、というプロジェクトだ。水素は燃焼させても二酸化炭素は出ない。グラム・ミドルミス副市長は「褐炭は単に『汚い』を意味する言葉になっていた。この革新技術は試してみる価値がある」と語る。プロジェクトを通じて数百人規模の雇用も、と地元の期待は膨らむ。
ただ、住民には、懐疑的な見方もある。「(水素プロジェクトは)実現するとは信じられない」。ラトロブバレーの将来を考える市民団体「バレーの声」代表のウェンディ・ファーマーさんは語る。「褐炭を石油に変える」「褐炭から化学肥料をつくる」。こんな構想がこれまでも立ち消えになってきたからだ。
 カギを握るのが、州政府が進める二酸化炭素の回収・貯留(CCS)事業だ。実は褐炭から水素をつくるときには副生物の二酸化炭素が発生する。州政府によると、回収した二酸化炭素をパイプラインで沿岸へ運び、海底に貯留する構想。20年をめどに貯留場所の地質調査などを進めていく。




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