SSブログ

「ナパーム弾の少女」 自由を求めてカナダに亡命したキム・フックさん

 Uploaded by 朝日新聞社 「ナパーム弾の少女」 自由を求めてカナダに亡命したキム・フックさん (2018/10/06)

「ナパーム弾の少女」
自由を求めてカナダに亡命したキム・フックさん

焼夷弾に焼かれ、泣き叫び裸で逃げる9歳の少女――。1972年、ベトナムの旧サイゴン(現ホーチミン)郊外で撮影された「ナパーム弾の少女」は、ベトナム戦争の惨禍を世界に伝え、反戦のうねりを生んだ有名なピュリツァー賞受賞写真だ。
 被写体の「少女」キム・フックさん。やけどの痕が広がる背中や腕はずっと痛む。それでも彼女は恨みや怒りを乗り越え、戦争にかかわった人たちをゆるし、戦争の悲惨さを説いた。
 彼女は自由を求めてカナダに亡命し、トロントに住んでいた。何があったのか知りたい。この夏、トロントへ飛んだ。
 待ち合わせ場所に現れた彼女は夫トゥアンさんと長男トーマスさん、その妻キシャさん、1歳半の孫カレルちゃんを伴っていた。「結婚も出産もないだろうと思っていたのに、おばあちゃんにまでなった。本当にうれしい」。
 14カ月入院し、手術は84年までに17回受けた。ベトナム戦争は終わったが、背中や腕のやけど痕は大きく残り、激しい痛みや心の苦しみとの闘いが続いた。そのうえベトナム政府は「私を反米の象徴にしたがった」。戦争犠牲者として外国人記者の取材を受けさせられた。ベトナムを何とか離れたいと考えるうち86年、同じ社会主義国キューバへ留学。だが、行動はすべて大使館に報告しなければならず、どこでも常に監視の目が光った。
 首都ハバナからメキシコに旅行した92年夏、逃げる隙をうかがったが、チャンスは訪れなかった。同年9月、同じベトナム人留学生のトゥアンさんと29歳で結婚。あるうわさを思い出した。モスクワ留学から戻らないキューバ人学生がいる。旅客機が給油で立ち寄るカナダで亡命申請しているらしい。カナダは移民や難民の受け入れに寛容な国だ。
 モスクワへの新婚旅行を計画した。旅費は高いが、友人のツテで安く航空券を入手。政府の許可も取りつけた。モスクワでも見張られ続け、亡命をトゥアンさんに打ち明けたのはキューバ機がカナダ北東部のガンダー国際空港に寄港する数時間前だった。トゥアンさんは「からかっているのかと思うほど信じられなかった。でも彼女はとても真剣だった」。ベトナムにいる家族が気がかりで、いったんは「無理だ」と言ったが、妻の言葉に心を動かされる。「カナダはとても寒い。やけど痕にもよくない。あなたなしでどうやって生きられる?」
 寒風が吹く10月15日、タラップを降りて、国際線待合室へと続く長い廊下を2人は黙々と歩いた。再搭乗までわずか約1時間。ネットもない時代、どうすれば亡命申請できるか見当もつかない。
 彼女はトイレの個室に入り、ドアの隙間から足が見えないよう身を縮めた。でも出発時刻になれば点呼で気づかれる。再び待合室へ。時計を見ると、あと25分ほどしかない。目を閉じて懸命に祈った。
 目を開くと視線の先にドアが見えた。少し開いたドアの奥に、キューバ人らしき若い男性や家族連れ。ピンときて静かに近づきドアを開け、キューバ仕込みのスペイン語で話しかけた。「何をしているの?」「私もカナダにいたい。助けて!」。一人が制服の男性を指さした。近くにいたトゥアンさんを促し、ドアの向こうへ一緒に滑り込んだ。
 最初にパスポートを確認した男性は日系人だと記憶している。続いて入国審査官が「名前は?」「どこから来た?」「なぜカナダにいたい?」。自由への扉が開かれた。
 搭乗口へ戻る乗客たちがドア越しに見えた。彼女は「アディオス!(スペイン語で、さよなら)」とつぶやいた。



nice!(0) 

nice! 0