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幢幡の配置、8年かけ推定 藤原宮跡、地道に発掘 奈良県橿原市

 Uploaded by 朝日新聞社 17年ぶりに秘仏・薬師瑠璃光如来立像を開帳 静岡・牧之原市 (2018/09/21)

幢幡の配置、8年かけ推定 藤原宮跡、地道に発掘
奈良県橿原市

日本初の本格的な都とされる奈良県橿原市の藤原京。中心部の藤原宮跡は現在、市民の憩いの場となっている。1キロ四方の藤原宮跡のほとんどが草原。「だからこそ、想像力をかき立てられるのです」と話すのが、奈良文化財研究所(奈文研)の玉田芳英さん。藤原宮跡の発掘調査に長く携わり、いまは奈文研の都城発掘調査部長を務めている。
 玉田さんと一緒にまずは大極殿の基壇があった場所へ。基壇から南を向くと、復元された大極殿院の南門の柱が見える。西に畝傍山、東には天香久山を望む。北側にある耳成山を含め、大和三山を意識してこの場所に藤原宮が築かれたと考えられている。
 次に、藤原宮跡の東側に向かった。住宅地や田んぼを抜けると、宮を囲む塀にあった門の一つ東面中門に着いた。2011年の調査で見つかったもので、門の柱の位置を表示している。
 奈文研は約50年にわたって藤原宮跡の発掘調査を続けている。2008年、奈文研は天皇が正月に臨んだ儀式で用いた旗「幢幡(どうばん)」を一列に立てたとみられる支柱跡が、大極殿院の南門の前で見つかったと発表した。発掘の担当者は玉田さんだった。
 奈文研はその後も南門周辺の発掘調査を継続。そして、8年後の16年、幢幡が一列ではなく、中央に1本、その左右に3本ずつ三角形のように並んでいた可能性が高いことを突き止めた。「可能性があるところを一つ一つ発掘で確認して、やっとたどり着きました」と玉田さん。
 幢幡が立っていた場所は、復元された南門の柱のすぐ南側だ。いまは埋め戻されているが、ここで大宝元(701)年正月、大勢の役人が並び、外国使節も参列する中、7本の幢幡が翻った。目を閉じてそんな場面を想像した。




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