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語り継ぐ戦争 岐阜空襲の恐怖を話す大脇雅子さん

 Uploaded by 朝日新聞社 語り継ぐ戦争 岐阜空襲の恐怖を話す大脇雅子さん (2018/07/08)

語り継ぐ戦争 岐阜空襲の恐怖を話す大脇雅子さん

1945(昭和20)年7月9日、岐阜空襲の時、10歳だった。父は軍属としてインドネシアに渡り、うちは国民学校教師の母と弟、祖母、叔母、私の5人でした。各務ケ原がやられ、次は岐阜、といううわさも飛んでいたそうだ。夜間に警戒警報が続き、寝不足だった。母は警報と同時に学校に向かった。(天皇の写真を納めた)奉安殿を守るためです。どかん、どかん。爆発音が響き、裏の家も燃えだし、いつもと違った。防空壕を出て数百メートル先の長良川へ走った。焼夷弾は空中で破裂し、火のついた油が飛び散り、家が燃え、バリバリと倒れた。私の防空ずきんに火がつき、祖母が畑の鉄条網で転んだ。



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