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伝統の炎を残せたら…がんと闘う博多鋏職人 高柳晴一さん

 Uploaded by 朝日新聞社 伝統の炎を残せたら…がんと闘う博多鋏職人 高柳晴一さん (2018/06/08)

伝統の炎を残せたら…がんと闘う博多鋏職人
高柳晴一さん

700年の歴史を持ち、その美しさと切れ味で海外にもファンがいる福岡市の伝統工芸「博多鋏(ばさみ)」。いま作れるのは1人だけだ。ただ、その技が途絶しかねない状況にある。
 博多駅から歩いて15分ほど。小さな工房がある。高柳晴一さんが、炎がゆらめく鍛冶場で地金の棒と鋼を熱し、慎重にたたいていた。
 博多鋏は刀づくりと同じ技法を使う。地金に鋼を付け、たたいては何度も研ぎ、焼きを入れる。そうしてできた左右対称な2本を組み合わせる。作れるのは1日2本が限界。一つ8千円するが、研げば3代にわたって切れ味を保つ。何よりも美しい。
 高柳家は江戸時代から続く刀鍛冶の家系だ。高柳さんは大学在学中から、父宗一郎さんの仕事場で博多鋏の修業を始めた。宗一郎さんが亡くなり、33歳であとを継いだ。
 そんな高柳さんの体に異変が現れたのは数年前。血尿が出たが、医者には「疲れのせい」と言われた。一昨年10月、膀胱がんが見つかった。すでに、リンパ節に転移。昨年3月までに3度手術した。主治医からは、再発の可能性が非常に高い、と告げられた。
 入院中の昨年3月。「博多鋏の製作技術」が、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選ばれた。「記録を残せって命じられた。あと5年、何とかならんやろか」と医師に尋ねた。最新治療の治験(治療の臨床試験)を提案され、受け入れた。
 昨夏、工房での仕事を再開した。だが手がこわばり、博多鋏はまだ作れない。リハビリを兼ね、売る予定のない植木鋏などを打っていたが、治験の副作用か、今年4月下旬に間質性肺炎で3日間入院した。「ぼちぼち、工房をどうにかせんと」と気にかける。技を絶えさせてはならない、という一念が支えだ。
 技を継ぎたがっている人はいる。一人は高柳さんと鋏に憧れ、9年前から工房に通う男性。だが仕事とかけ持ちで、時々しか来られない。かつては女性もいたが、仕事とのかけ持ちがきつく、鋏職人の後継者への助成制度がある高知県に移住した。
 「役所の人は『記録を残しておいて、将来、技術が絶えても復活できるように』って言うけど、そんな甘い世界ではない。映像じゃだめ。文字でもだめ。親方が打っている姿、丸ごとの空間、現場がないと」
 国内外からの百を超す注文が手付かずのままだ。「あと5年、なんとか持ちこたえてくれたら。奇跡が起き、後継者をどうにか育てられるかもしれない」




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