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view 秋田県大潟村 干拓で生まれた「パッチワーク」

 Uploaded by SankeiNews view 秋田県大潟村 干拓で生まれた「パッチワーク」 (2018/05/26)

view 秋田県大潟村 干拓で生まれた「パッチワーク」

厚い雲が西の空を覆う。ゆっくりと動く雲の隙間から夕日が差すと、水田が徐々に輝きはじめた。
日本海に突き出る男鹿半島の付け根に位置する秋田県大潟村。かつてこの場所は琵琶湖(滋賀県)に次ぐ大きさを誇った八郎潟が広がり、シジミ漁が盛んに行われていた。 
しかし、戦後の食糧難から米の増産が必要となり、昭和32年、干拓事業に着手。約2万2千ヘクタールあった八郎潟は約1万7千ヘクタールが新たな土地として生まれ変わり39年に大潟村が発足した。42年に入植が開始し、約600人が全国から干拓地に移り住んだ。
「もともと栄養のある土地だが、当時は表面が固く、中が軟らかい田んぼでトラクターが立ち往生することもあった」と振り返るのは大規模農業にひかれ県内から入植した工藤兼雄さん(82)。公平を期すため土地の場所は抽選で決められ、農家経験者でも1年間の研修を経て入植したという。
希望にあふれた入植だったが程なくし45年に減反政策が開始される。「突然でショックだった」と工藤さん。しかし、大潟村では大規模農業のおかげで収入が激減することもなく、転作では大豆の栽培が行われている。
隣の五城目町の森山からは整然とならぶ水田がパッチワークのように一望できる。春は代かきが行われる水田が夕日で赤く染まり、秋は稲穂で黄金色になる景色を求め多くの人が訪れるという。国の政策に揺れた八郎潟の歴史だが、眼下に広がる干拓で誕生した農村の景色は美しかった。
(写真報道局 大西正純)




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