SSブログ

米長邦雄さんが通った唐招堤寺

 Uploaded by 朝日新聞社 米長邦雄さんが通った唐招堤寺 (2018/05/19)

米長邦雄さんが通った唐招堤寺

唐招提寺は、ゆかりの著名人が揮毫し、奉納した宝扇(ハート形のうちわ)のうち約130人分の扇面を毎年、屛風にしている。米長邦雄の揮毫も寺で生き続ける。将棋の名棋士と古都・奈良の名刹は、不思議なエピソードで結びついている。
 話は1992年にさかのぼる。米長は唐招提寺の鑑真和上坐像(国宝)の前に座った。米長が自著「運を育てる」で「最も尊敬する人物」と記した鑑真和上(688~763)は中国唐代の高僧。遣唐使船で唐を訪れた日本の留学僧から招請を受け、渡日を決意したが、渡航を5回試みて失敗。視力を失ったが、6回目で日本の地を踏んだ。12年がかりで目標を達成した「不屈の人」だ。
 そのころ米長は、多くのタイトルを奪取しながら、最も歴史があるビッグタイトル「名人」には手が届かないでいた。1976年の初挑戦から79年、80年、87年、89年、91年の計6度、名人に七番勝負を挑んだが、うち5回は中原誠=十六世名人=に、1回は谷川浩司=十七世名人資格保持者=に敗れた。
 鑑真和上坐像の前に座った後の夕食の席で米長は「和上像の前で突然、鳥の声が響いた。すごかったね」と漏らした。「何も聞こえなかった」と不思議がった同行者は「迦陵頻伽(かりょうびんが)の声かも」。迦陵頻伽とは「仏教で極楽にいるという想像上の鳥。妙(たえ)なる鳴き声を持つとされる」。米長は吉兆と受け止めた。
 翌93年春、米長は7度目の名人挑戦権を勝ち取った。相手は5度退けられた中原名人。5月21日、米長は4連勝で悲願の名人位に就く。49歳11カ月での名人奪取は史上最年長記録だ。
 米長は寺に「お礼をしたい」と申し出たが、長老は「お金は結構です。お豆腐でもいただけましたら」。米長はお気に入りの長野県の店から毎月1回、豆腐を贈った。修行僧や職員が昼食時の楽しみにしたという豆腐の贈り物は、十数年続いた。




nice!(0) 

nice! 0