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view 復興見守る塩釜さま 宮城県塩釜市

 Uploaded by SankeiNews view 復興見守る塩釜さま 宮城県塩釜市 (2018/03/17)

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白装束に烏帽子(えぼし)姿の氏子100人が、歯を食いしばり掛け声を響かせて、急な石段を一段一段上がる。担ぐみこしは重さ1トン。担ぎ手たちを奮い立たせるように和太鼓が連打される。無事に上り終えると見物人からは大きな拍手が湧いた。毎年3月10日、宮城県塩釜市の塩釜神社で開かれる「帆手まつり」が最高潮に達した瞬間だ。

 塩釜神社は平安時代初期に編纂(へんさん)された「弘仁式」にも記述が残る。江戸時代、伊達政宗以降の仙台藩主は大神主を務めた。全国にある塩釜神社の総本社。境内には志波彦(しわひこ)神社もあり、地元の人は親しみを込めてそれぞれ「塩釜さま」「志波彦さま」と呼ぶ。
 延々と続く石段は202段。撮影機材を持って上り下りを繰り返すと、夜明け前の寒さの中でも汗が吹き出し、途中で休まずにはいられなかった。

 平成23年、帆手まつりの翌日、東日本大震災が一帯を襲った。高台にある塩釜神社は石塔が倒れ、建物の外壁もはがれたが津波は到達しなかった。「1日早く起きていたら、市内や沿岸を練り歩くみこしの行列が大混乱に陥ったのは間違いない。塩釜市は海に面しているのに犠牲者も少なかった。塩釜さまが守ってくれたと感じる」と、氏子青年会の千田忠一会長(55)は話す。
 地元の消防団員だった千田さんは電気、ガス、水道が全て止まった暗闇の中、沿岸部の家々を回り逃げ遅れた人がいないか確認。被災した人に水や食料を配り歩き、消防団の車で寝泊まりした。「惨状のなか、塩釜さまはみんなの心の支えだった」と千田さん。

 震災翌年の帆手まつりでは津波の傷跡が色濃く残る中、みこしが練り歩いた。発生から7年。町は年を追うごとに復興し活気を取り戻していった。高台の塩釜さまに見守られながら…。(写真報道局 古厩正樹)



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