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view 景観復活への“小さな一歩” 福島県相馬市「松川浦」

 Uploaded by SankeiNews view 景観復活への“小さな一歩” 福島県相馬市「松川浦」 (2018/02/24)

view 景観復活への“小さな一歩” 福島県相馬市「松川浦」

朝焼けに染まる海を行く1隻の漁船が航跡を描く。湾の中ほどで速度を緩めると、海面に並ぶのり棚の竹ざおを縫うように進んでいった。福島県相馬市の松川浦は、砂州によって太平洋と隔てられてできた、南北7キロ、東西1.5キロほどの潟湖(せきこ)だ。
 東日本有数の青のりの養殖で知られ、かつて湾内にはぎっしりとのり棚が並んでいた。ここを平成23年3月11日、津波が襲った。外洋と松川浦を隔てる大洲海岸の防潮林はなぎ倒され、2万4000あった棚を全て押し流した。
 あれから7年。今月5日に震災後初めて、青のり(生のり)の出荷が行われた。東電福島第1原発事故による放射線のモニタリング調査を続け、ようやくこぎつけた再出発だった。
 国が定めた出荷基準は1キロあたりの放射線量100ベクレル以下。しかし相馬双葉漁協はより厳しい「1キロあたり50ベクレル以下」の自主基準を設定。これをクリアしたものを、始めは地元を中心に流通させることにした。
 「再建したのり棚は1500柵ほどで、震災前の1割にも満たない。が、規模は小さくても再開にこぎ着けた意義は大きい」と、相馬双葉漁協の岡村祐一さん(62)は強調する。
 魚介類を取る漁業と違い「のり養殖は種の生育が一度途絶えてしまうと、再開まで膨大な時間がかかる」と、岡村さんは難しさを説明する。松川浦では他県から譲り受けた種を4年ほどかけて増やしたという。
 震災前と比べると海面から突き出る竹ざおの数は、まだ圧倒的に少ない。地震による地盤沈下で海底に起伏ができ、のり棚が設置しにくい場所があるなど課題も多い。しかし、「ひとつひとつ課題を乗り越え生産性を上げることが以前の姿を取り戻すことにつながる」と、岡村さんは前を向いている。生のりの出荷作業は4月末まで続く。 (写真報道局 古厩正樹)





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