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恭仁宮跡発掘調査

 Uploaded by SankeiNews 恭仁宮跡発掘調査 (2017/12/05)

恭仁宮跡発掘調査

聖武天皇が740年から約4年間、都を置いた「恭仁宮跡」(京都府木津川市)で、役人が執務や儀式を行った朝堂院の東側に立てられた塀の北端を示す柱跡が見つかり、京都府教育委員会が5日発表した。朝堂院の北端が、天皇が儀式を行った大極殿院の南面回廊と接しているため、大極殿院の南端の位置も判明。担当者は「大極殿院と朝堂院の規模をほぼ特定できる大きな成果」としている。
 恭仁宮跡ではこれまでに宮全体の範囲や大極殿、内裏などの主要施設の跡が確認され、大極殿院の大きさも東西約145㍍、朝堂院は東西約115㍍であることが分かっている。朝堂院の南端は確認されているが、大極殿院と朝堂院の境が不明だった。
 今回の発掘で、大極殿院の東南エリアから長さ約25㍍、幅約2・5㍍の遺構を発見。南北に一列に並んだ朝堂院の東面の掘立柱塀の柱跡5カ所が、ほぼ3㍍の間隔で出土した。
 朝堂院は南北約103㍍、大極殿院は南北約215㍍と分かり、平城宮(奈良市)の大極殿院と同様に南北に長い形態だったとみられる。府教委は「聖武天皇が恭仁宮に遷都する際、平城京の造りを参考にした可能性が高まった」としている。




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