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なかなか遺産 与倉屋大土蔵(そろそろ遺産)

 Uploaded by SankeiNews なかなか遺産 与倉屋大土蔵(そろそろ遺産) (2017/11/20) 

なかなか遺産 与倉屋大土蔵(そろそろ遺産)

千葉県香取市の佐原(さわら)地区は江戸時代、利根川を通じた水運や商工業で栄え“江戸まさり”と謳われた。今も、伊能忠敬旧宅など、当時の姿を伝える商家が立ち並び、歴史的な街並みが魅力ある景観を醸す。
 観光客から逃れるように細い路地を進むと、灰色の壁が続く巨大な蔵が現れた。「そろそろ遺産・がやがや系」の「与倉屋大土蔵」だ。
 外観は、ガヤガヤというよりノッペリ。だが、重い木の扉を開くと一転して、目の前に、500畳を超える異空間が広がる。頭上に無数の木材が張り巡らされる様は、なるほど「がやがや系」だ。
 与倉屋は、江戸後期から明治6年ごろまでは酒造業、その後、醤油の醸造を営んだ。目当ての大土蔵は、明治22年に、醸造蔵として建てられたもの。
 高さ12メートルの屋根を支える梁(はり)は5層もあり、その複雑な構造のため、近くの学校で、組み立てのリハーサルをしてから、本番に臨んだという。
 終戦近くには兵器庫として転用され、大戦後は製粉業に。さらに昭和35年ごろからは国の米蔵として使われるという波乱に満ちた歴史を持つ。
 多いときで4万俵の米が蓄えられた大土蔵。「子供の頃は、迷路みたいでした」と話すのは、9代目の菅井康太郎さん(44)。壁のように積み上げられた米袋に囲まれて、周囲が見えず、その広さを実感できなかったという。
 平成5年ごろ、減反政策などで扱い量が減り、米蔵としての役目を終える。菅井さんが全体を見渡したのはその時が初めてだった。
 「なんだここは!」と、空になった大土蔵のスケールに驚いた。「与倉屋を継いでいく重みを知りました」
 現在は倉庫業を営み、大土蔵は、一般公開はしていないが、講演や演奏会などのイベントのほか、「佐原の山車(だし)行事」の祭囃子(ばやし)の稽古場にもなっている。菅井さんは「生きた伝承音楽を通じ、生きた空間として、この蔵を皆さんと共有していきたい」と話す。
 時代とともに柔軟に役割を変えてきた大土蔵は、ガヤガヤと人々を包み込んでいく。




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